宗像はよかばい!

世界遺産申請中

「むなかた」と聞いて何を思いますか?「むなかたしこう」棟方志功。ではありません。名前じゃなか。人の名前じゃなかけん!エースを狙えのぬなかたコーチでもなかと!

こうきたらお分かりになるでしょう~!「福岡県宗像市」であります。福岡県宗像市と聞いても、いまいちピンとこないかもしれませんが、場所は福岡市と北九州市のちょうど中間に位置しています。

「もちろん海あるけん。玄界灘と響灘があるけん、おいしか魚がとれるとよ~」という宗像市の方がいいそうですが、北九州市と福岡市の中間地点ということで、ベッドタウンとして発展してきた宗像市です。特に最近は福岡が都市圏として発展してきたということもあって地理的条件の良さとしても人口が増加しています。

海もあれば山もあります。そして観光資源も豊富なんです。かつて東郷平八郎や足利尊氏も参拝した交通安全の神様で勝利の神様的役割も果たす宗像大社もあります。漁業も農業も盛んな街でもあります。福岡県内で最大の島『大島』も実は宗像市です。そして海には『沖ノ島』(おきのしま)は、九州の本土から焼く60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かんでいる絶海の孤島もあります。

沖ノ島

沖ノ島は神の宿る島とも言われています。この沖ノ島の周囲は約4キロで、宗像神社の神領になっています。沖ノ島はまず島全体が御神体とされている点が着目すべき点でもあります。そして今でも女人禁制という伝統はずっと守れれているんです。島へ上陸することができるのは、毎年5月27日だけです。 山の中腹には宗像大社沖津宮があって、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っています。無人島ではありますが、現在は沖津宮の神官が交代で派遣されているので常時島には滞在しています。

なぜ5月27日なのでしょうか?!この日は『日本海海戦』の日になっています。

明治38年(1905年)5月27日に、沖津宮の神官に仕えていた佐藤市五郎が、樹の上から日露戦争の日本海海戦の始終を目撃することになりました。彼は両艦隊の乗組員以外で同海戦を目撃した数少ない人物の一人になっていて、その子細は創建以来書き継がれている沖津宮日誌に記されています。その日を記念して5月27日に現地大祭が行われます。

沖ノ島の自然

島を上空から見ると北東から南西に向かって紡錘形をなしていて、北部に主峰一ノ岳:標高243.6メートルがありまる。山頂には沖ノ島灯台が建っています。

地質は主に石英斑岩(せきえいはんがん)の地質となっています。

沖ノ島は、亜熱帯性植物の北限で「ビロウ」や「オオタニワタリ」といった亜熱帯性植物が生育しています。森林域は「タブノキ」や「ヤブニッケイ」などを中心とした原生林になってるので、1926年(大正15年)10月20日に「沖の島原始林」として国の天然記念物に指定されています。

また、ヒメクロウミツバメ、カンムリウミスズメ及びオオミズナギドリなどの海鳥の集団繁殖地となっていて、1978年(昭和59年)3月31日に国指定沖ノ島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている。この沖ノ島の面積97hですが、そのうち特別保護地区は94haとほとんど島全体が特別保護地区ということです。。

沖ノ島へ上陸

一般人が沖ノ島に上陸したい。と思ったらどうしたら良いでしょうか?!5月27日に行けば行けば上陸できるというわけではありません。まずこの島へ上陸できるのは5月27日のみですが、この日は日本海海戦を記念して開かれる現地大祭の時になっています。そして事前に申し込みを行った中から抽選で選ばれた200人だけになっています。そしてもちろん沖ノ島は女人禁制の島なので、男性のみになっています。

そしてこの上陸はすべて神事の一環として行われるという面があるので、前日に筑前大島の中津宮に参拝して事前の手続きを受ける必要があります。そして船で現地に着いたあとは裸で海に入り禊(みそぎ)をしなくてはなりません。沖ノ島全体が天然記念物になっているので、沖ノ島内の「一草一木」たりとも持ち帰ることは許されません。唯一持ち帰ることができるのは、島内の湧き水(ご神水)だけは例外とされています。

玄界灘の中間に浮かぶ孤島ということもあって、荒天時などに付近を航行中の船が避難できるような港湾設備が整備されています。もしそのような状況になったときに寄港して上陸する場合にも、社務所に許可を取って禊をすることが必要になっています。

世界遺産登録へ向けて

平成14年(2002年)にエジプト考古学者の吉村作治氏が提唱して「海の正倉院・沖ノ島いま甦る太古のロマン」と題してシンポジウムが行われました。九州全土、特に宗像地方を中心にした沖ノ島を世界遺産にする機運が盛り上がり、世界遺産に関する運動が行われました。

平成20年(2008年)9月に、文化庁が『自然崇拝信仰の痕跡を残す考古学的な価値』と今も祭事行為が継続していると沖ノ島を評価することになり、同年の12月に、日本政府が世界遺産登録国内候補地に正式決定しました。 翌年平成21年(2009年)1月5日、福岡県と宗像・福津市が共同提案して「沖ノ島と関連遺産群」がユネスコ世界遺産暫定リストに追加掲載されることになりました。その発表を受けて、福岡県と宗像・福津市は「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議を設置しました。

海の正倉院

古い時代から国家の安泰と海路の安全を祈願して大和朝廷によって国家の繁栄と航海の安全を祈る重大な祭祀がずっと行われてきました。

第二次世界大戦の後に、宗像大社復興期成会が結成されて、三次昭和29年(1954年)~昭和46年(1971年)の発掘調査が行われました。そして23の古代祭祀跡から約8万点の祭祀遺物が出土しました。そのほかにも縄文時代の遺物が約2万点そして弥生時代の遺物も出土しています。奉納されたとされる鏡・勾玉・金製の指輪などの神宝が古代祭祀遺跡から発見されています。

これらのうち第一次、第二次調査出土品は昭和37年(1962年)に国宝に指定されて、第三次調査出土品は昭和51年(1978年)に重要文化財に指定されています。平成15年(2003年)には上述の国宝と重要文化財を統合して、平成20年(2008年)と平成15年(2003年)には未指定物件が追加指定されることになり、関連遺物の全てが国宝に指定されることになりました。こうしたことなどから、沖ノ島は海の正倉院と称されています。

出土した土器からは、縄文時代前期に漁民たちが漁業の基地として使用していたいた様子が伺えます。そしてその範囲は、北九州、瀬戸内海、山口県にまで広がっています。

17世紀前半に、黒田藩が沖ノ島に防人をおいたことから発見されることになりましたが、島の有様については一切口外が許されていませんでした。しかし、日露戦争の時には、陸軍の防衛基地が設置されることになり少しずつ島の様子が世間に知られるようになりました。

宗像三女神

  • 沖津宮・・・田心姫神(たごりひめ)
  • 中津宮・・・湍津姫神(たぎつひめ)
  • 辺津宮・・・市杵島姫神(いちきしまひめ)

宗像三女神について

沖ノ島に祀られているのは、宗像三女神(むなかたさんじょじん)の田心姫神です。

宗像三女神は、宗像大社に祀られている三柱の女神の総称になっています。宗像神(むなかたのかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれています。

海の神・航海の神として信仰されています。朝鮮への海上交通の平安を守護する玄界灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々になっています。

宗像大社のほかにも各地の宗像神社・厳島神社・八王子社・天真名井社で祀られています。

宗像・厳島系の神社は、日本で5番目に多いとされていて、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所にあります。

『古事記』に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」となっていて、胸形氏たち海人集団の祭る神でした。それが、朝鮮半島との緊密化によって、土着神、地方神であった三神が5世紀以降は国家神として祭られるようになりました。

古事記において、誓約には、天照御大神が須佐之男命(すさのを)の十拳剣を譲り受けて生んだとされていて、須佐之男命の物実(ものざね)から化生したので須佐之男命の子としています。 『日本書紀』については本文と一書で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なっています。

降臨されたとされている土地は、福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山になっています。

天照大神が国つくりの前に、宗像三神に「宗像地方から朝鮮半島や支那大陸へつながる海の道は降って、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示しています。このことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨して、祀されるようになりました。

『日本書紀』の一書には天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されています。

田心姫神を主祭神とする神社

  • 宗像大社沖津宮 ・・・福岡県宗像市沖ノ島鎮座
  • 日光二荒山神社 ・・・栃木県日光市鎮座
  • 小汐井神社 ・・・ 滋賀県草津市大路鎮座
  • 新日吉神宮 ・・・京都府京都市東山区鎮座
  • 一宮神社 (神戸市) ・・・ 兵庫県神戸市中央区山本通鎮座 生田裔神八社の1社